無題 - メモ帳
9月上旬、ツイッター上に「仙台のホテルが予約取れない」という女性のつぶやきが漏れた。これを察知したビジネスホテルチェーン、リッチモンドホテルがすぐさま「1室おさえました」と投げかけた。
感動した女性はツイッターで言及、「口コミで登録者が1日に数百人増えた」とホテル担当者は話す。実は担当者は「出張」というキーワード検索で多数のつぶやきの中からリアルな需要を探し出したのだ。
「ツイッター販促 『リアル』で勝つ」 日経MJ 2009年11月23日 (via worris) (via gototec) (via uessai-text) (via ritsuca) (via yamifuu) (via otsune) (via yaruo) (via yudemen) (via h-yamaguchi) (via kogure) (via takojima) (via hikol)
tengennsui:


図書館で1993年の新聞を読んできた : 2chコピペ保存道場

“気のせい気のせい”

68 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/11/21(土) 13:46:34.21 ID:7msL1lHSO
仰々しい漢字使えば「厨二」
大袈裟な物言いすりゃ「厨二」
カッコ付けりゃ「厨二」

いい加減このクソみてえな言葉廃れてくんねえかな

81 : 吸引ビン(コネチカット州):2009/11/25(水) 19:59:07.08 ID:fcUi0nOP
金持ちっていいよな
リアルシムシティとか俺もやりてーよ
「そんなこと、絶対に言えませんよ。第一、差別の道徳なんて……」
 と相手は言った。
「ではあなたは、たとえば三菱重工の事件のような場合、どうします」
「ウーン、そう言われるとこまるなあ、何も言えなくなるなあ」
「なぜこまるのですか、なぜ何も言えなくなるのですか。何もこまることはないでしょう。それをそのまま言えばよいはずです。みなはそうしているし、自分もそうすると思う。ただし、私はそれを絶対に言葉にしない。日本の道徳は、現に自分が行っていることの規範を言葉にすることを禁じており、それを口にすれば、たとえそれが事実でも、“口にしたということが不道徳行為”と見なされる。従ってそれを絶対に口にしてはいけない。これが日本の道徳である。おとなたちはみなこうしています。だから、それが正しいと思う人は、そうしなさい、と言えばよいでしょう」
「とんでもない、そんなことを言ったら大変なことになります」
「なりませんよ。表現さえ変えればね。というのは、みながそうしているのは、知らず知らずのうちに、そう教えられているからでしょう。あなたが、そうするのも、そう教えられて来たからでしょう。結局みんな、以上のことを、非系統的に断片的に、周辺におこった個々の事例への判断を口にするに際して、子供に教えつづけてきたからでしょう。そしてそれは、少しも”大変なこと”じゃなかったでしょう」
「そういえば、そうですが……」
「ではそう書けばいいでしょう。あたなも、“そういえばそうだ”と賛成されたのだから」
「とっても、とっても、第一、編集部がうけつけませんよ」
「どうしてですか、言論は自由でしょ」
「いや、そう言われても、第一うちの編集部は、そんな話を持ち出せる空気じゃありません」

(via idora)

688 名前:名無しさん@九周年[sage] 投稿日:2009/03/20(金) 01:29:29 ID:DbMoDM2L0
前スレにあったマレーシアの記者の記事を訳してみましたよ。
元記事:http://www.themalaysianinsider.com/index.php/opinion/breaking-views/136-breaking-views/18804-aso-falls-victim-to-media-attacks—kwan-weng-kin


「 麻生首相はメディアの攻撃の犠牲者となった

     2009年2月20日 ストレーツ・タイムズ Kwan Weng Kin

 日本の総理大臣、麻生太郎氏は、漢字を正しく読めない、ただのマンガ愛好
家なのだろうか。それとも英語を話すことができ、経済の知識がある数少ない
政治家の一人なのだろうか。もし、多くの日本人が、麻生氏についての知識を
すべてテレビから得ているとしたら、自分たちの総理大臣をかなり低く評価し
ていることだろう。

 麻生首相は明らかに、4つある日本の民放TVネットワークの犠牲になってい
る。これらの民放は政治の話題を、何か別な形態の番組と区別せずに扱ってい
るように見える。つまりテーマが面白おかしくなければならないような種類の
番組と、そうではない番組ということである。
 日本にある唯一の公共放送であるNHKは注目すべき例外である。NHKの
政治ニュースはいつも、時には退屈なほど注意深く客観的に報じられる。

 しかし、4つの民放にとっては、麻生首相のマンガ依存症を攻撃することか
ら始まり、5つ星ホテルの会員制バーで息抜きをする日課をあざ笑うことまで、
すべてが格好の攻撃対象である。
 このようなレポートは、単調になりがちな政治ニュースを盛り上げるために
添え物として時々報じられる分には、多分それほどの害はない。
 しかし、一人の政治家を過小評価することを目論んで、一日中際限なく、早
朝5時半から深夜かなり遅くまで終わることなくこのようなレポートをニュー
スショーで取り上げたとしたら、政治家は破滅させられる。

 人気のあるニュースショーの司会者たちが、報道のプロではないという点も
注目される。
 ニュースショーである「報道ステーション」の司会者である古舘伊知郎氏は
プロレスの実況アナとしてキャリアを積んできた。彼は今日の政治の話題に関
して論じる際、頻繁に無知を露呈する。
 また、3時間にわたる朝のニュースショーの司会である、みのもんた氏は、
一週間に22時間15分もテレビ番組の司会(多くは生放送である)をしており、
そのギネス記録を保持している。だが、そのほとんどはバラエティ番組だ。
 みの氏や、似たような他局の司会者たちは、自分たちも嫌味な論評や思い付
きの批判をするし、スタジオのゲストがそうするように仕向けることにも忙し
いのだ。
 しかし、意見のバランスという観点からは、司会者もしくはゲストの誰かが
ショーの中で同時に、麻生氏を支持する立場の用意されたコメントを、うやう
やしくもサッサと片付けるというのが普通だろう。
 しかしそうではなく、すべての民放ネットワークを通じてテレビのスクリー
ンから見えるのは、首相に対して同時に行われる集中攻撃だ。

日本経済を救うための麻生首相の景気刺激策も歪曲して報道され、今まで、
表面的な少しのことしかしていないように見せている。
 麻生首相がまとめた政策は、A4サイズの用紙1枚に列挙できないくらいに
数が多く、時間の限られた多くのテレビ番組の中では詳細を議論することさえ
もできない。
 そこで、民放ネットワークはそれらの中から、たったひとつの政策に焦点を
合わせた。全ての国民に合計2兆円を現金で給付するという、議論を招く法案
である。
 民放は野党の意見に立って、概して、これは来るべき総選挙に勝利するため
の選挙対策のバラマキとして立案されたものであると説明してきている。
 民放はまた、給付金は所得税の還付に到底及ばないと言っているが、それは
何百万人もの低所得者、年金生活者はそのような税金を払ってはいないという
事実を都合よく無視している。そのような層にとっては、一人当たり1万2千
円の給付金はまさに天の恵みであるのだが。

 また最近は、麻生首相にとって具合の悪いニュースが伝えられた直後に、民
放ネットワークが急いで世論調査を行うという、憂慮すべき傾向がある。
 最近の調査対象には、小泉純一郎元首相が先週、麻生首相への非難を公言し
た郵政民営化に関すること、および今週、中川昭一財務大臣の国際記者会見で
の見苦しいふるまいが含まれている。このような状況下では、調査対象となっ
た人々は悪いニュースばかりを思い出しやすいため、麻生首相の人気が上がる
ことはほとんど期待できない。下がるばかりだ。

 民放ネットワークに秘密の協定などなく、すべての偏向報道が純粋に視聴率
アップを目論むテレビ制作者の身勝手な行為の結果だと考えるのは、もちろん
純朴に過ぎる。
 実際のところ、民放キー局は日刊の全国紙を持つメディア会社が所有してい
る。その政治的な視点は右から左まで実にさまざまである。
 つまり、民放ネットワークの政治的視点は、それぞれのオーナーや編集者の
政治的なイデオロギーを反映している。
 時には、小泉政権の時のように、民放ネットワークはニュースショーですべ
ての批判を実質的に禁止することによって、首相のための応援団になることも
できるだろう。

 だが麻生政権に関しては、民放ネットワークは「疑わしきは罰せず」の原理
を首相には与えるつもりはなく、あらゆる機会を使って首相批判を続ける反麻
生の野党と手を携えているように見える。
 ここのところ放送されている反麻生のうねりの陰には、政治的野心を持つメ
ディアの権力者と、舞台裏で糸を引く勢力が存在すると信じる理由があるのだ。

 しかし、政治家を風刺する時でさえ、日本のニュースネットワークは礼儀正
しいレベルを保つことができる。
 隣接する台湾や韓国の勝手なメディアではそうではない。そこでは事態はよ
り乱暴になるだろう。
 たとえば、台湾で人気がある「パーティ」という政治風刺テレビ番組では、
台湾の馬英九総統はその生真面目で清廉なイメージのために手加減して扱われ
るが、失脚した陳水扁元総統のこととなると、笑わせるために遠慮なく言い囃
される。

日本では、麻生首相に関して偏向報道を行うメディアに対して、多くのブロ
ガーが非難の声を上げている。彼らは、メディアが野党の弱点に対して沈黙を
守っている一方で、首相が力量を示す点については軽んじていると述べている。

 昨年12月の産経新聞の記事で、アメリカ人エコノミストのリチャード・クー
氏が、国家の経済における問題を理解し、その政策が外国の指導者によって研
究されている数少ない日本の総理大臣であるとして麻生首相を支持していた。
 野村総研に勤めるクー氏は、従って、日本のメディアが漢字を読み違えるよ
うな些細な欠点に関して麻生首相を抹殺しようとしているのは「全くの狂気」
であると言う。

 厳しさが増す状況だが、麻生首相にとって明るい兆しになりそうなニュース
もある。昨日発表された調査では、今年の総選挙に向けて、麻生首相は自民党
のほとんどの党支部の支持を取り付けたということだ。
 朝日新聞の調査によれば、47の自民党県連のうち30は麻生首相の支持を表明
している。いくつかは嫌々ながらの支持であると報じられてはいるが。
 2001年に世論の支持を失った森喜朗元首相を失脚させるのに、地方組織がそ
の手段となったことを思い起こすことには意味があるだろう。

(終わり)

HAL ナツ 秋 ふゆ : Aso falls victim to media attacks (via etecoo)

だが麻生政権に関しては、民放ネットワークは「疑わしきは罰せず」の原理
を首相には与えるつもりはなく、あらゆる機会を使って首相批判を続ける反麻
生の野党と手を携えているように見える。
ここのところ放送されている反麻生のうねりの陰には、政治的野心を持つメ
ディアの権力者と、舞台裏で糸を引く勢力が存在すると信じる理由があるのだ。

国家の経済における問題を理解し、その政策が外国の指導者によって研
究されている数少ない日本の総理大臣であるとして麻生首相を支持していた。
野村総研に勤めるクー氏は、従って、日本のメディアが漢字を読み違えるよ
うな些細な欠点に関して麻生首相を抹殺しようとしているのは「全くの狂気」
であると言う。

(via windsock) (via theemitter) (via yaruo) (via syanaash)

現代は地域共同体と会社という二つの世間の安定が壊れた。「世間と神は弱い個人を支える役割を果たしていた」という。だから、よりどころを失った日本人は、なお安心できる何かを求めている。テレビの仕事をしている鴻上尚史は、いまのお笑いブームに「共同体の匂い」への指向を読み取っている。

「お笑い番組が隆盛なのは、「笑って嫌なことを忘れたい」という理由が一番でしょうが、同時に、「他人と同じものを笑うことができる」という「共同体の匂い」に惹かれているからだと思います。 私は孤独じゃない。私たちはバラバラじゃない。なぜなら、同じものを見て、一緒に笑える人たちがいる。同じものを見て、腹から笑える人たちの中に自分がいる。それは「共同体の匂い」です。そして「共同体の匂い」を呼吸することは、人を安心させるのです。」

著者が言うように、インターネットの一番の肯定面は、自分で「共同体」を選べること、複数の共同体にゆるやかに所属すること。そこに著者は可能性を見る。「空気嫁」というジャーゴンがあるように、ネットのコミュニティにも濃密な空気があるが、複数のコミュニティに出入りができるなら縛られないという考え方もできる。

ただ、昔のコミュニティというのはひとつしか属せなかったはずだ。そうした閉鎖的な空気と、ネットのゆるい空気はまた別物かもしれないとも思う。空気というフレーム自体が進化するフェイズを迎えている気もする。いや人間はそう簡単には変わらない?。情報アーキテクチャーと同時に考えるべき重要なテーマだと思う。

空気と世間という伝統的な視点を、同時代の文脈で見事に読み替えていて、大変に面白く読む価値のある本だった。

情報考学 - 「空気」と「世間」 (via yellowblog)

以前書いた文章をコピペ。世間論はルーマンやったほうがいいと思う。

ドイツの社会学者、ニクラス・ルーマンは、著書 『信頼―社会的な複雑性の縮減メカニズム』の中で社会的な複雑性の減縮メカニズムとして慣れ親しみ、パーソナルな信頼、システム信頼の3つを挙げている が、この中の慣れ親しみというモデルは阿部謹也の「世間」と似たような特徴を持っている。

慣れ親しみのある世界においては、現在や将来にもまして、過去が優位を占める。過去においては、もはや「他のようにある可能性」ではなく、過去は、つねに縮減ずみの複雑性なのである。従って〔過去の優位のもとでは〕既往のものごとへの方向づけも、世界を単純化し無害なものとする。そこでは慣れ親しみあるものごとが存続しつづけ、確証されたものごとが反復し、周知の世界が将来に向って継続される、と想定されるのである。そして、かかる想定は、大抵おおくの場合、成果を伴う。というのも、そこでは万人がかかる想定に依拠しており、誰ひとりとして、一切を一挙に変えうる立場にいないからである。〔とはいえ〕人間は誰しも、己れが体験しぬいたことを過去に委ねて済ますわけにはいかない。人間は己れが体験しぬいたことを、その本質的な特徴において、自分たちの歴史として不断に現在化しなければならない。なぜならば、歴史とは、複雑性を縮減するための、最も重要な手段だからである。時間という次元は、まさにこのような過去への視角において、そもそもは社会性という次元に属する問題を解決する。すなわち、予期されざる行為を排除するのである。社会性の次元での世界の不確定性は、このようにして覆いをかけられ、あらゆる意味の社会的な構成は、慣れ親しんだ世界にあっては、相変わらず匿名のままなのである。(ニクラス・ルーマン, 大庭健, 正村俊之,『信頼―社会的な複雑性の縮減メカニズム』, 勁草書房 ,1990, p32-33、一部修正)

そして、慣れ親しみの関係は「世間」がそうであるように自明のものであり、何故そのような関係が成立しているのかを問う姿勢そのものが欠如している。そして、仮にこの自明的に存在している関係性が何らかの動機により不安的になった時は、最早慣れ親しみは存立しえず、より高次のパーソナルな信頼或いはシステム信頼が要請される。

大抵の親密な慣れ親しみの関係の場合には、信頼〔に値するかという〕問題が独自の熟慮の主題となることはない。それが主題になるときには、親密な慣れ親しみは、反省によってもはや疑う余地なき自明のものではなくなっている。そこでは全き未知性の溝が、登場しているのである――たとえ、もっとも身近な隣人に向かい合っているとしても、そこでの隣人は、ある疑いによって、驚くべき異人性へと遠ざかってしまっているのである。その場合には、〔慣れ親しみとは〕別の、〔信頼に値するかという〕熟慮に耐えるような、信頼の基盤が求められるのである。(ニクラス・ルーマン, 大庭健, 正村俊之,『信頼―社会的な複雑性の縮減メカニズム』, 勁草書房 ,1990,  p58)

端的に言えば、「世間」は「社会」に内包されていると考えることが出来る。そして、「世間」とは、その影響力の範囲内で心理的強制力を持つ準拠集団のことである、とも定義出来るだろう。そして、日本では便宜上それが「世間」と呼ばれているだけのことである。「世間」は差別体系でもある、とも阿部謹也は述べているが、どのような準拠集団も差別体系としての要素を持つことは避けられない。問題視すべきは、それが差別体系であるということよりも、それが差別体系である事実それ自体が問題視されていない現状にある。そして、それはルーマンの慣れ親しみといった概念からその分析を行なうことが可能なのではないだろうか。阿部謹也の世間論の問題点は、「世間」の存在を「社会」とは別のものとして捉えてしまったところにある。我々に必要なのは、「世間」を「社会」から隔離することではなく、「社会」の中に「世間」を見出すことではないだろうか。そうすることによって、日本人は「社会」を語り得る可能性を発見できるのではないか。単に内向きな特殊性に閉じ篭るのではなく、開かれた普遍性の中に独自の在り方を見出す必要があるように思う。

(via pdl2h) (via etecoo) (via noboko) (via gkojax) (via syanaash)

中国の大卒初任給は5万円。日本はと聞かれて

 「20万円くらいかな」

と答えると彼は目を剥いて言いました。

 「ほんとに!?日本人は、働き者だからな!」

けど僕は反射的にこう説明していたのです。

 「いや、それは違うよ。日本人が働き者だったのは、20年くらいの話だ。おれの父さんや爺さんの時代は、そりゃあ働いてた。休みは週に一日だけ、連休は春と秋の二回。朝から晩まで働いて、企業戦士や過労死、なんていう言葉が流行った。ところが、いまの日本と来たら、毎月どこかで連休だ。社蓄なんて言葉があるくらいで、みんな会社を自分で動かしているという意識がなく、会社に飼育されてると思ってる」

 「飼育?ブタや牛みたいに?」

 「そう。会社に飼育されてるんだっていう意識で働くひとも多い。企業戦士、なんていう言葉はもう聞かないし、それどころか全く働かずに家にこもったままの”ひきこもり”や”NEET”なんていう若者が登場して来て、少なくとも昔みたいに死ぬ気で働いてる人は殆どいないね」

 「日本のこと、映画でしかしらないから、みんな凄い真面目で頭のいい人たちだと思っていた」

 「その映画は古い。いまの日本人は全く、そういうことをシリアスに捉えていない。日本での最近の悩みは貧困とモチベーションの低下だよ」

 「貧困といっても、日本人の給料は4倍高いし中国のほうがもっと貧困だよ」

 「その通り。けど、日本人が抱えている問題はお金がないということじゃない。やることがなくてやる気が出ないんだ。生活に余裕があるから”やりたい仕事がない”なんて言っていられるのさ」

 「それでも、生きて行けるだけ羨ましいな。中国は、人が多過ぎて、エリートでも職探しに苦労する。お店の店員が、みんな深圳大学卒の博士号をもっていたりするんだよ。大金を掛けて勉強しても、働き口がないからみんな仕事があればなんでもするんだ」

 「でも安心しなよ。昨日今日ですごく思ったことがある。いまの深圳は、50年前の秋葉原なんじゃないかって。秋葉原も最初は闇市から始まって、世界最大の電気街になった。電気街の存在が、日本のハイテク産業の人材を育て、世界に冠たるハイテク立国として成長していった。すでに深圳は世界最大の電気街だし、そこには君のような勤勉で優秀な若者が沢山いる」

君のような優秀な若者、といったところで彼は照れ笑い。

僕は続けた。

 「日本人はいま、とても怠けている。危機感がなく、仕事への熱意をもっていない。君たちは、勤勉で、積極的で、賢い。今日、プレゼンをしてみて本当にそう思った。社長が出席している会議で、社員の方が社長より元気に質問をしてくる会社は伸びると思う」

 「それはありがとう。でも会議はいつもあんな感じだよ。いい意見に身分は関係ない」

 「だからね、僕はひょっとすると、あと数年もたてば、君たちのほうがずっとずっとお金持ちになっているような気がするんだよ。それで、日本はいまのイタリアやポルトガルみたいに”かつては文明発展に多大な貢献をしたがいまは無害で無気力な国”になっちゃうんじゃないかと思ってね」


僕は自分のクチから出る言葉を信じられませんでした。

けれども、それが自分の本心から出ている言葉なのだと知ったとき、ひどくショックを受けたのです。

日本が世界の二流国になる、いや、もう成っていて、しかしそれに多くの日本人が無自覚のまま、気がつけば世界に取り残されているかもしれないという危機感は、これだけいろいろなことを言ってきた僕自身さえ、実はそう言葉を発するその瞬間まで、なかったのです。

これが単なる同情ではなく、実感を伴った感想であることは、後席に座っていた水野君にも伝わったらしく。

 「ヤバいですね。よく考えると」

しかしヤバいけど対抗できない。圧倒的な貧困と、低賃金と、人口。

これに比べると日本は独自言語を使う、金持ちの少数民族に過ぎません。

これが中国という国の脅威であり、これだけ広大な国土と人口を一つの政府が支配することの凄みなのか、と思いました。

「(アポロ14号のシェパード船長がゴルフのパフォーマンスをした)月面からネス湖の湖底まで、ゴルフボールは人間がへんぴな場所に捨てるごみの代表例だ」